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水害

 筑後川の歴史は、洪水の歴史でもあります。明治以前の洪水として残されている一番古い洪水は、大同元年(806年)で、「太宰府管内で水害と干ばつにより田園が荒廃し、筑後の国1ヵ年田租を免ぜられる」とあります。さらに天正元年(1573年)から明治22年(1889年)至る316年の間に183回の洪水記録が あります。
 そもそも筑後川で洪水が起きやすい原因として、筑後川上流地域やその支流の上流地域は、降った雨水が土中にあまり浸透しない地質であることや、上流の河床が急勾配であるのに対して、中下流の勾配が極めて緩く、洪水が筑紫平野に氾濫する傾向にあることが挙げられます。(上流の流速は時速20キロメートルであるのに対し、下流は時速4キロメートル強とバランスがとれない。)

 矢部川流域の洪水は6月〜7月上旬にかけての梅雨前線によるものが多く、大規模な洪水はほとんど梅雨期に発生しています。降雨は短時間に終わるものは少なく、3〜6日間にわたるのが普通で、一週間以上降り続くこともあります。
 このような長雨で流域が飽和状態にあるところに、短時間の豪雨があると大洪水となることが多いのです。
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